子規あれこれ 2

「臭いぞな」子規はじっと虚子の眼を見る
 
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(子規の描いた糸瓜棚 「仰臥漫録」より)

子規が苦痛と戦い、それに負けずに毎日精力的にものを書いていたのは、想像するさえ悲壮である。そんな子規の下世話ごとを詮索するのはフェアな精神とはいえない気もするが、それでも少しだけ許してもらおう。
 
私の句らしきものは、虚子が律に代わって子規の脚を持ったシーンを想像したものだ。
虚子は「柿二つ」に冷静な目でこう書いている。
「脚部の水気は一日一日増して、仰臥したままの姿勢を少しでも動かそうとしたらたちまち痛みを覚えて大叫喚を始めるのであった。ことに脚は曲がって立てたままになっていて、それを延ばすことも横に寝かすことも出来なかった。・・・そこで大方は妹が手をその膝のところに添えてじっとそれを支えていた。」・・・
「少し代りましょうか」とKは妹に言った。・・・
「臭いぞな。」と彼はまた注意するように言った。枕頭に坐っている時と違って不浄の臭気が鼻を打った。
 
「病牀六尺」は、死の二日前まで掲載されている。その前の記事(病牀六尺126)は、芭蕉奥の細道で馬小屋に泊まったときの句「蚤虱馬のしとする枕許」(のみしらみうまのしとするまくらもと)を挙げ、「しかし芭蕉はそれほど臭気に辟易はしなかったろうと覚える」と書いている。達観した人間はそうしたものに捕らわれないのだといわんばかりである。
 
子規は蚊などもあまり苦にしなかった、と後年律さんは語っており、あまり身の回りのことを気にするほうではなかったように思える。しかし日に一度ならず、何年ものあいだ律に下の世話をゆだねざるを得なかった子規としては、当然忸怩とした思いもあったであろう。実際女性客が来た折に便意を必死に我慢したことも「仰臥漫録」に書いている。
 
糞の句を、例をいやというほど挙げて解説している論もあるように(子規は句の蒐集分類については執拗な、いわばオタクであったことを知らされる)、子規の中で糞尿、臭気はいつも頭の隅にある負のテーマであらざるをえなかった。
そんな子規が、なにか空威張りしてるようなこの日の稿(病牀六尺126)は、これまた身をつまされるようで切ない。