反骨の石人・石馬(シリーズ風景の中へ23)

囀りて石人めがけ雲雀落つ
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江田船山古墳の近くのモニュメント石人


九州はまた、反中央の国だ。
以前「鹿児島神宮」で触れたことがあるが、司馬遼太郎が薩摩の国ことを日本国(中央政権)に5度反乱を挑んだ稀有の国、と書いていた。隼人の反乱から始まり5回目が西南戦争西郷隆盛である。(鹿児島神宮 http://book.geocities.jp/geru_shi_m/kagosimajinnguu.htm

熊本県の八女、菊池方面の装飾古墳を見て歩くと、この地は「磐井の乱」が地域のアイデンティティーであるらしく、情熱をこめて解説している。これは教科書にも出てくる6世紀前葉の大規模な内乱であり、筑紫の君、磐井が、朝鮮出兵を企てた大和王権に反抗し、筑紫、豊の国、火の国(いわば九州の北半分)が磐井の麾下、1年半ほど反旗を翻した事件である。太平洋戦前は不敬だということで、この乱がほとんど語ることができなかったというから驚くのだが、いま、地域の英雄として祭り上げられている。
彼は528年に、高良大社の近くの御井で大和の軍勢との決戦に破れ、生前から造営していた古墳に葬られた。それが「岩戸山古墳」である。古墳の埋葬者がわかっているのは、日本ではこの磐井の岩戸山古墳だけであるという稀有なものだ。(高良大社  http://book.geocities.jp/geru_shi_m/kourataisya.html

古墳には埴輪ではなく、石の像が並べられた。武装人や裸体、馬、鶏、靫(柚木:矢を入れるもの)、盾などが沢山回りを飾ったものと思われるが、破壊されたりしてその破片が史料館に残されている。石の像は阿蘇火山の噴出した阿蘇溶結凝灰岩という石でできていて、熊本、福岡に集中している。
その大らかで無邪気で力溢れる造形をみていると、あきらかに弥生文化とはルーツを異にする血が流れていると思える。これは、時代はだいぶ異なるが、鹿児島県隼人駅近くにある隼人塚の武人の像へも地下でつながっているように思える。
 

「石人山古墳」は、石棺の直弧紋で知られるが、その文様は現代人をも幻惑する謎をひめている。この墓の前に番人のようにたっている武装石人はもう目鼻も分かちがたい。


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岩戸山古墳の石人レプリカ

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を負う石人:一部 (素朴そのもの)

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武装石人など(岩戸山歴史資料館)

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石人山古墳の墓守:武装石人

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直弧紋が飾る石棺(石人山古墳)

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隼人塚の武人像(鹿児島県)