ベートーベンの「寒月ソナタ」

寒月や隠れ処無し樹も我も

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煌々と月が照っている。今宵は満月で辺りも異常に明るい。世界がくっきり見えている。

疑うらくはこれ地上の霜かと

 これは李白だったが、今夜の月はこんな詩を思い起こさせる。確か李白は、

頭をたれて故郷を思う のだったはずだ。今宵は心底冷え冷えとしてくる。よく見ればオリオンも近くに瞬いている。

 

月天心貧しき町を通りけり

 これは蕪村。俳句では月は秋の季語だから冬の月よりは冴え冴えした感じは少ないのだろう。けれどこの句は寒月のように冷え冷えしたものを心に残す。この月はまるで絵の無い絵本の1ページのようだ。

 

先日友人のピアノに私の下手なリコーダーを合わせることがあった。曲はベートーベンの「月光ソナタ

もちろん初級者用にピアノとリコーダーのアンサンブルに編曲した、5分くらいの短いものなのだが、それでも演奏には結構難儀した。この歳になるといくら練習をしても上手くならない事実を如実に実感する。 

この曲はポピュラーだけれど、さて自分でメロディーを吹いてみたら、実に巧くできているものだと改めて感心した。音楽の知識がない私は説明できないのだが、恥ずかしげもなく書けば、

ピアノ伴奏は3連符のアルペジオ?を微妙に変化させながら、水面を波が揺曳するように絶妙に進行する。メロディーはアウフタクトで付点のリズム(口で言えば、ターンタ ターアーン)で始め、そのあとは狭い音域を半音移動させたりしながら、長く伸ばした音で構成している。

私がすごいと思ったのは、3連符と付点のリズムを重ねること、すなわち3分の1と4分の1を重ねるという発想。それと2回目のターンタターアーンを初めのものより微妙に半音低くしていること。半音の移動がえもいわれぬ奥深い苦みのあるニュアンスを醸しだしている。またアウフタクトの効果なのか、演奏していて光が後を引くような揺曳するような気持になってくる。

と、これ以上天才の曲を下手に説明はしないほうがいい。

 

ただしこの曲は後世の批評家が月光をイメージするといったことから「月光ソナタ」と呼ばれるようになったのであって、ベートーベンが月光を意識していたことはなかったようである。

だが、先ほどの李白の詩を、この曲に乗せて朗読するのもいい感じだと思うのだが、いかがか…。

錬金術でユズ黄金

黄金柚子錬金術師も苦笑い

 

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小さいポットに植えたヒメユズが20個ほど色づいてくれた。それにしても、緑色の小さい実が立派な黄金に成長してきた様は、見事としか言いようがない。西洋中世の錬金術師も斯くやと思われる。

ひとつ採って味見をしてみたら、いい塩梅だ。ポン酢にでもしてみよう。

 

柚子は、秋の季語だという。でも私の近在では、いま温州ミカンが色づいている。信州ではリンゴが台風で被害を受けたが、静岡のミカンはさしたる被害もなく、蜜柑山は全山が黄金色になりつつある。ゆずは、これより少し早いだけである。これからミカンの最盛期が始まる。

 

牧野富太郎博士の「植物知識」を開いていると、いろいろな果物がそれぞれ違った部位が食用となっていることを、説明している。

たとえばリンゴは果実ではなく花托(花梗の末端)を食べる。イチゴも肥大した花托の部分(果実は粒粒についている)、バナナは果実の皮の部分、そしてミカンは果中に生えた毛なのだという。

ミカンの袋の中心部には種があり、毛はその反対の外側から中心に向かって生えていて、その毛が膨大して、それが食用になるのだという。

博士は「ミカンは、その毛の中の汁を味わっている、と聞かされると皆驚いてしまうだろうが、実際はそうであるからおもしろい」と笑っている。

もちろん、ユズもまた毛を味わうのであろう。

秋の田の季語「ひつじ」?

園児らの一本道やひつじの田

 

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「ひつじ」という言葉を最近、俳句歳時記から教わった。意外にも、秋に田んぼの切り株から生え出た稲のことだという。

静岡は暖かい気候のせいか、秋なのにまるで田植えをした後のように稲が青々としている。そして稲穂も見える。しかし実はあまり入っていないようだ。

これが雪国ならば、緑のひこばえが出る前に、切り株には雪がうっすら積もって、一つひとつが白い小さい丸い形になり、それが羊の群れのように見えることもあるかもしれない。だが、「穭」ひつじがみられるのは暖地だから、雪の羊ではない。寒冷地の言葉ではないというだろう。

 

「ひつじ」なんていう名は、俄かには信じられないので、近くの小さい図書館に行って「新漢和大字典」(学習研究社)を開いて調べると、確かにある。漢字では「穭」と書いて音はリョ、意味は、①自生する稲②植物が野生する、とあり(国)ひつじ 刈り取った稲の株から再び生える稲、とある。そして古訓でオロカオヒ(おろかおい)と訓んだとも書いてあった。「愚か老い」ではなくて「疎か生い」と思える。

残念ながら「穭」をなぜ日本では「ひつじ」と訓むのか理由を書いてない。

ネットで調べると、秋の田は水を落として土が乾くのでひつち「干土」であり、それが語源だなどの意見もあったが余りしっくりしない。

 

ウィキペディアには次のコメントがある。

東南アジアでは、イネを一回収穫し、2,3か月してからさらに収穫する「ヒコバエ育成農耕」という農耕がある。

佐々木高明によれば、ヒコバエが中身を入れた状態で結実する久米島奄美大島等で、旧暦の12月に播種、1月に移植(田植え)し、6~7月に通常の収穫をしたまま家畜に踏ませ、8月~9月にマタバエ、ヒッツ、ヒツジと呼ばれる稲孫の収穫をする農耕文化が1945年まで行われていた。また佐々木の調査によれば、与那国島で同様の農耕が1981年まで行われていたという。

 

f:id:zukunashitosan0420:20191121085625j:plain(実も入っていそう)

私は、この論文を読んでいないけれども、佐々木氏は、稲作以前に焼き畑農業がおこなわれていて、稲作文化とは別の文化(照葉樹林焼畑農耕文化)がありそれが連綿と日本文化の底流に流れているのではないか、と唱えた方だ。

彼は稲の渡来を紀元前2,3世紀ごろ揚子江下流域から東シナ海を横切って南朝鮮や日本に来たものと考えている。(「稲作以前」NHKブックス

 

そうしてみると、当てずっぽうだが、ヒッツ、ヒツジという語は、江南から稲をもたらした人たちの言葉だったのかもしれない。その言葉は、農法とともに南島や九州などの暖地に定着した、やがて季語に昇格したものかもしれない。

 

江戸時代には

ひつぢ田の案山子もあちらこちらむき 蕪村

ひつぢ田や青みにうつる薄氷    一茶  

なんていう句もあるので、その頃には関西から関東にまで定着していたかもしれない。

子規の句も併せて載せておく。

ひつじ田に三畝の緑をしぐれけり    明治28年

ひつじ田や痩せて慈姑の花一つ     明治23年

 

それにしても、俳句人口がこんなに多いのだから、だれか一人くらいこの不思議な季語を解明してほしいものだ。私が知らないだけなのかもしれないが…。

越前から野菜来る

前田殿熊と競いて柿をもぎ

 

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越前大野の友人から、思いがけず段ボール箱が届いた。開けてみると、柿30個ほど、辛そうな大根、赤い大カブが出てきた。名物羽二重餅もひと箱入っている。

メモ書きを読むと、柿は、熊が来るので危ないから早く取り入れろと市から指導があったのだという。大根も株も自分の畑のもので、まだ黒い土がしっかり付いている。

こういう趣は大好きである。自分が、都会人ではないせいか、テレビで話題のブランド食品などにはいまいち関心がわかないのだが、こうした地の野菜などには興味津々、心温まる。

 

もう大部前になるが山の中の城下町を訪れた時のことをいろいろ思い出させてくれる。ぐるりの山々はもう紅葉しているだろうか、おばちゃんちは清冽な水で大根を洗っているのだろうか、イトヨはまだ動いているのだろうか、城下町の風情のある街の通りに観光客が来ているだろうか等々。

 

件の友人はもう半世紀前になる大学の同級生である。私は勉強をしなかったが、彼は風来のようでいていつの間にかしっかり勉強していた。アパートも遠くなかったので、お互いに夜中に行き来したりしたものだ。私のアパートであさま山荘事件のテレビ中継をずっと見ていたことを思い出す。どんなことを話したのだったか、もう忘れてしまったが、お互いに若くて多感だったし、人生なんて夢よりも不安のほうが大きかった時代だった。

 

タラの芽を食べることを、私に再認識させたのは彼だった。

私が就職して沼津に赴任していた時のことだが、彼は帰郷する折に東名バスで沼津で降りて、私のところまで歩いてきたことがあった。東名は愛鷹山麓を走っていたので、家まで3,4キロはある。そして着くなり袋を二つ差し出して、

「この辺はタラの芽を食わないのか?道すがら、採り放題だよ」

という。当時はまだ静岡ではタラの芽を食べる習慣がなかった。

その晩は、タラの芽を確か空揚げにして酒の肴にし、その美味さにびっくりした。それがその後に私が山好きになる後押しをしたことは言うまでもない。

そんな彼も私も古稀を過ぎた。それも驚きだ。

 

カラスウリの実と花は

カラスウリ「たまご」と言いて小さき掌

 

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この時期、裏山を歩くと藪にカラスウリが見つかって楽しい。その赤といい、その丸い形といいいかにも何かを訴えているようだ。たぶん種の拡散のため鳥に啄んでほしいのだろう。

人間様もついつい枝を引いて取り、しばらくは壁などにつるしてから庭に捨てるので、その願いを手伝っているのかもしれない。

それにしても、花と実のアンバランスはどうしたことか。

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花は、初夏の夜の暗闇の中に、妖しいレース編みのような白い花弁を開く。一夜花なので朝にはもうしぼんでいて人が目にすることは少ない。そんな秘密めいた生殖をしたのに、実はあからさまな顕わし方である。どういう理由があるのだろう。

夜に妖しい花を開くのは、おそらく受粉の競争者が少ない時間帯を狙い、夜の蛾をターゲットに特化した戦略だろう。白いレースの様な形状は、できるだけ花を大き見せることができ、しかも普通の花弁ではなく糸編み状にすることでエネルギー効率が良いという利点がありそうだ。

逆に朱赤に目立つ実は、果物のような印象を与えて動物たちの目を引き付ける。

とすると、このカラスウリ、なかなかの戦略家だと思えてくる。

青いバラ (名句に教わる7:池田澄子氏) 

青い薔薇あげましょう絶望はご自由に  池田澄子(1988年『空の庭』)

 

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青いバラは、今日こそ市販されているがもともと自然界には存在しなかった。

2004年にサントリーが遺伝子操作で開発したものだというし、おそらく作者が吟じたころはまだ無かった。あったら面白い、商品になる、ということからいろいろ品種開発が行われているところだった。

そんなところから、この句はまだ実体のない夢みたいなものを提供しますよ、あとはどう受け取るかは自由に、という風なことなのかもしれない。警抜な句である。

 

しかし私は、この句の青いバラは、テネシー・ウィリアムズの戯曲、『ガラスの動物園』(The Glass Menagerie:1945年)から、発想をえているかなあと思った。

戯曲のヒロインはローラという、足の悪い不器用な内向的な女性。人付き合いも苦手で、ガラスの動物を集めるのが趣味だった。心配した母は男性とつきあわせるため弟の友達を家に招く。ところが、この男性ジムがローラの初恋の男で、昔学生のころローラを「blue rose」とふざけて呼んだことがあった。ジムはようやくそれを思い出し、ローラに勇気を持って生きるように諭すので、ローラは明るい気持ちになるのだが・・・。ジムは婚約していると楽しそうに言い、ローラはまた絶望の淵に沈んでいく。

ガラスの動物園」を読み直さないと正確ではないが、あらすじはこんなことだ。

改めてこの句をよめば、ジムが言った台詞にさえ思えてくるではないか。この句が、「ガラスの動物園」を下書きにしているとしたならば、何か思いつきの洒落た句、ということではなく、まさに戯曲の中の救いようのないローラの精神を、叱咤激励する、心が本意なのではないだろうか。

 この句のように、相手に話すような形が池田さんの句に散見されるが、それを私は「ダイアローグ俳句」、つづめて「ダイアロー句」と仮に名づけている。(もしくは、つぶや句、か) 女史の句の一つのタイプだと思われる。

 

ラグビーとアザミいろいろ

風神も避けて通るやフジアザミ

 

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9月の半ばに友人たちと富士山麓を歩いて「フジアザミ」をたくさん見かけた。大きくて棘も鋭く粗野な印象。

下の写真は「トネアザミ」に近いかなあと思われるが、アザミは種類が多いので、品種を同定するのが難しいので、自信がない。

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アザミで連想するいくつかのことどもを。

 

アザミの根はヤマゴボウとして食べるが、「フジアザミの根は食べられるんですかね?」

と友人が首をかしげた。いわゆる「ヤマゴボウの漬物」はゴボウアザミやモリアザミやゴボウの細い根だという。ゴボウアザミやモリアザミというのは、私にはよくわからない。ただし外来のヨウシュヤマゴボウという大型の雑草が最近繁茂しているが、こちらはヤマゴボウといっても毒である。 

いつものように宇都宮貞子さんの本を探すと、信州は小谷付近の話として、フジアザミを食べる習慣を紹介している。*1

葉を扱いで軸だけにして皮をむき、塩漬けにしておくと、冬春の野菜ない時に具合いいで」

同様に鬼無里、小川村ではシャキシャキしてうまいなどという声も紹介しているが、何れも軸を食べるもので、根を食べてはいない。

 

第二次大戦中に日本軍の捕虜となった西洋人が、終戦後、日本軍の犯罪行為として捕虜に木の根を食わせた、と主張した。ところが実際は日本兵ヤマゴボウを食料として親切心から提供したのであった、という記事をどこかで読んだ記憶がある。

 

「あざみの歌」というロマンチックな歌が流行ったことがある。「山には山の憂いあり、海には海の哀しみが」と言えばわが同世代人ならだれでも次にアザミが出てくることを知っている。作詞したのは横山弘さんで、三橋美智也の「哀愁列車」や倍賞千恵子の「さよならはダンスのあとに」などで一世を風靡した作詞家だ。

歌詞の2番には「秘めたる夢を ひとすじに くれない燃ゆる その姿」 とある。

確かに凛とした風情だが、私にはそこまで情熱を受け止める花とは思えない。

 

ところがラグビーワールドカップで、スコットランドチームのエンブレムがアザミだった。そして歌うは「スコットランドの花( Flower of Scotland)」で、花とはアザミのことである。これがスコットランドの国歌だということだ。

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スコットランドブリテン島の北部地域でエジンバラが首都。同じ英国といっても、イングランドスコットランドは永い覇権争いの歴史がある。国歌もイングランドを追い返した時の歌だという。

アザミは「夜の闇にまぎれてスコットランドを攻撃しようと裸足で身を潜めていたヴァイキングたちが、アザミのとげを踏み、その痛さに思わず声をあげたことによって、スコットランドの人々が侵略の危険を察知した、という言い伝えがある。」*2

スコットランド人はアザミに、非常な愛着を持ってこの花の下にアイデンティティを育んでいるようだ。野原にはアザミがたくさん咲いているのだろうか、行ったことがないので知らない。

 

今回ラグビーワールドカップを機に、イギリスという国家が、実はイングランドウェールズスコットランド北アイルランドという国の連合国であることを改めて教えられた。ワールドッカプにはイングランドウェールズスコットランドがそれぞれ1チーム、北アイルランドアイルランド共和国と合同でチームを組んで出場しているのだという。そしてスコットランド北アイルランドにはそれぞれ国議会があるのだという。知らなかった。

 

もうひとつ。アザミと言えば、陶芸家のハンス・コパーを思い出す。

もう10年ほど前になろうか、静岡市で彼の作品展があった。晩年の、と言っても50歳後半であったが、一点で立つ細長い形の造形など精神性の高い作品を作り、私はそれを見たとき息苦しささえ覚えた。

コパーはユダヤ系のドイツ人で父親が自殺するなど幼い時から厳しい境遇にあった。ナチスから逃れてイギリスにわたり、そこでたまたまルーシー・リーの工房に雇われて陶芸に携わり、リーと協同で事業を進めてやがて独立する。その意匠は2つの成型をドッキングするなど極めて造形的で、20世紀の陶芸を変えたとも言われた。61歳に筋ジスでなくなる前に、何を思ったのか作品以外の自分の遺物をすべて焼き払わせている。

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その彼の生み出したフォームの一つに、「ティッスルフォーム」と呼ばれる形がある。ティッスルとはアザミのことである。アザミの花を横からみたような形をしている。これを見ていると、古代のプリミティブなもの、例えがおかしいが俳句に共通する軽みと省略に似たものが感じられる。

*1 宇都宮貞子 「秋の草木」 新潮文庫

*2 Wikipedia