夏の小國神社と草花

涼しさや杉の参道進むとき

連日33度続き、熱帯夜、夕立も降らないこの異常な暑さの中、遠州森町小国神社に詣でた。あそこなら涼しいかなと思ったからなのだが、結果、実に涼しかった。

土曜日とあってか、駐車場もほぼいっぱい、門前の茶や横丁も混んでいた。やはりみんな家にばっかりいられないようだ。

この神社、遠江一の宮であり歴史も古く、伝える十二段舞楽は、国の無形文化財。参道は大きな杉が亭々と聳えていて、その森厳さに自ずと気が引き締まる、と同時に暑さも徐々に引いていく。屋代は屋根の葺き替えられたようで、眼に新鮮だった。

 

参道の右奥には瀬があり、モミジの紅葉、新緑で美しいところだ。驚いたことに子ども連れの家族がたくさん川に入っていて、水遊びに興じていた。雨が少ないせいか水は浅いので幼児にはちょうどいい。そしてこの付近がまた有難いほど涼しくて、「涼しい」が夏の季語であることがよく分かる。

 

この瀬に沿って少し歩いていると、夏の野草が目に入ったので、少しメモしておこうと思う。樹下は夏の花盛りだった。

 

ウバユリ(ユリ科

 

トチバニンジン(ウコギ科

 

マムシグササトイモ科)

 

ダイコンソウ(バラ科

 

ハグロソウ(キツネノマゴ科)

 

牧野富太郎展 または菫(スミレ)はセロリ

来世はエノコログサでも良しとせん

(博士の東大助手の頃 明治33年:本と標本の山)

NHKテレビの連続ドラマで、牧野富太郎博士がテーマになっている。これにちなんで、かどうか知らないが、静岡県立の「ふじのくに地球環境史ミュージアム」で牧野博士の企画展があるというので、足を運んだ。

1部屋分の展示という規模は小さいものだったが、博士のつくった押し花標本、手紙などが見られて興味深いものだった。押し花標本には1911年、牧野などと書いてあり、セピア色っぽくなっているが、ゆうに100年は経っているものなので、こんなに長持ちするものなのかと感心させられる。新聞紙に大きく自筆メモ書きしてあるのも生々しい。

博士は1500種以上の植物に命名、40万枚ともいわれる膨大な標本資料を収集、45000冊という蔵書を残したと書かれていました。

解説の中に牧野博士を「植物の精」だったといっているものがあった。さもありなん。

博士が書いている次の言葉は、私の好きなものだ。

「もしも私が日蓮ほどの偉物であったなら、きっと私は、草木を本尊とする宗教を樹立してみせることができると思っている。」そして「私は世人が植物に興味を持てば次の三徳があることを主張する。」といって、第1に、人間の本性がよくなる。第2に、健康になる。第3に、人生に寂莫(じゃくまく)を感じない。と言っている。

(「植物知識」講談社学術文庫

私もこうなりたいなと秘かに思っている。

 

博士は1862年文久2年)生まれだという。明治維新の直前である。以前書いたことがあるが、この時期に本当に独学の巨人たちが日本に生まれている。

たとえば、川口慧海(1866)、正岡子規(1867)、豊田佐吉(1867)。

谷川健一さんは「独学のすすめ」で、南方熊楠柳田国男折口信夫、吉田東伍、中村十作、笹森儀助をとり挙げて、いずれの人も、お仕着せの既成の知識や価値ではなく、自分で学び取り行動し、それが時代を超えるものを残したと共感をうたっている。それが、生きた学問だともいっている。因みに南方は1867年、柳田は1875年、折口は1887年、吉田は1867年、中村は1867年、笹森は1845年の、それぞれ生まれである。どういう理由があるのあろう。

 

余談だが、

展示にはスミレについてのコーナーもあった。「植物知識」でもスミレを扱っていて、次のようなショッキングなことが書いてある。

「昔から菫の字をスミレだとしているのは、このうえもない大間違いで、菫はなんらスミレとは関係がない。」「菫(きん)という植物は元来、圃(はたけ)に作る蔬菜の名でああって、また菫菜とも、旱菫とも、旱芹ともいわれている。」「これは西洋でも食用のため作られていて、かのセロリがそれである。」

ということだという。

仲邑菫さんという天才少女の囲碁プロは、前評判通り強くて勝ち続け、しかもあどけないので大人気であるが、漢字の意味からするとセロリになるのというのは、ちょっと可哀そうだ。囲碁日中韓で盛んに交流が行われているので、中国の方々は菫さんの名前にどういうイメージを持つのだろうか?

 

朱い夏

鬼百合や弾け咲く瞬(とき)今朝も見ず

雨が上がった朝、ぱっとオニユリが咲いた。今年は玄関近くのプランターや花の鉢から茎が20本ほど立ち上がっている。自然に増えたものだ。二三日したら花が10個以上になってきて賑やかになった。豪快で気分がいい。アゲハも頻繁にやってくる。

ヤブカンゾウも咲き始めている。これもまた炎のような黄赤。二つ合わせて力のある花が玄関近くで踏ん張っている。

夏を朱夏というが、これは中国の五行説

(木、火、土、金、水で森羅万象を説明するもの)からきているのだという。

こんなチャンスに頭の整理をすると、次のような関係になる。

木・・・青・・・東・・・春 ―――青春

火・・・赤・・・南・・・夏 ―――朱夏

土・・・黄・・・中央・・・土用(季節の変わり目)

金・・・白・・・西・・・秋 ―――白秋  

水・・・黒・・・北・・・冬 ―――玄冬

 

青春、白秋など人生の時季をも表現している。

夏の赤は太陽のイメージだろうか、まさかスイカという訳ではなかろう。もちろん人の働き盛り期をさす。朱夏にはオニユリカンゾウも、そしてカンナもふさわしい。私などとっくに白秋もすぎて玄冬だ。

昔誰かの本で林住期というインドの人生区分が話題になったことがあった。学生期、家住期、林住期、遊行期となっていて遊行期は「人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤」だとネットにあった。遊行したいものだが、庶民はなかなかそうはいかない。

 

昨日お隣さんからカサブランカを2茎いただいた。「雨が強そうだから、切ったほうがいいと思ってね…」とのこと。開いているのが1つ、蕾がまだ4つほどある。挿すと直ぐに家中に香りが充満してきた。

そういえば、オニユリは匂ったかな?あまり記憶がない。庭に出て嗅いでみたら、臭わない。これは見る百合なのかもしれない。

マツバランをみつけた

万緑やわれまた植物細胞を持ち

 

日陰を探して、山の農道に車を停めてぼんやりしていたら、脇の石積みに変なものが目に入った。初めて見るもので、花なのか枝なのか何だか全く見当がつかない。まわりはツタや花の終えたテイカカズラなどが繁茂していて、その隙間から顔をのぞかせていた。

帰宅してネットで調べてみると、「マツバラン」の可能性が極めて高い。

 

「マツバラン」。

古いシダの仲間でマツバラン科。熱帯や亜熱帯に生ずる結構珍しいもので、静岡県では絶滅危惧種Ⅱに指定されている。根も葉もないらしい。

ただしこのマツバランは、江戸時代に大流行した園芸植物でイワヒバと双璧をなすものだったのだという中尾佐助著「花と木の文化史」では、日本の古典園芸植物として解説されている。古典園芸植物とは、江戸時代に流行し明治以降衰えたもので、オモト、セッコク、フウラン、マンリョウ、変化アサガオ、斑入り植物など様々を挙げている。

そして、高度に品種改良されたものだが、「品種改良の美学が、本能的美学とははなはだしく異なっていて、西洋にはかつて存在しなかった特殊なジャンルをつくっている。その結果・・・西洋人には全く理解力が欠けていて、国際的評価はほとんどゼロと言っていい。」とのこと。

 

ところが、マツバランは「現生の陸上植物のその全部が、古生マツバラン類から生まれてきている。」(もちろん顕花植物も含め)「陸上植物のすべての、大祖先とみられている」という大変なお方であった。

また現生マツバランは、日本でもまれな存在であるが、日本人はそれを探し出し、園芸化した。天保6年(1835)出版の「松葉蘭譜」には122品種が記述されている。とも書かれている。以上、中尾先生から教えていただいた。

 

こんなものが、裏山の道路わきにあったとは、調べてみて驚いた。

わが庭にも、オモトやマンリョウ、センリョウ、ヤブコウジなどが自然に生えているが、江戸時代の風景に近いのかもしれない・・・。

「半夏」生と「半夏生」

半夏生白さは私の病気です

 

七十二候に半夏生(はんげしょう)がある。七月初めの5日ほどを指している。

で「半夏生」という草だが、ドクダミの仲間で葉の一部が白くなる特徴がある。わが庭にも病的な白い葉を何枚か光らせていて、異常に目につく白さである。数年前に面白そうなので植えると、2年ほどは白くならず失敗だったかなと思っていた矢先、急にどんどん増え始めて白い葉もたくさん付けて庭にのさばり始めた。あまりの繁殖力を恐れて、今年は思い切って半分ほどを抜いてしまった。

それにしても、この白さは何か病的である。これで虫を呼ぶのだという。恐れ入る。短夜の明け方、この白さが庭にボオッと浮かんでくるのは幾分魑魅魍魎の世界を感じさせる。

 


ところで、72候でいう「半夏生」は、本来「半夏」が生ずる頃、という意味だそうだ。そして「半夏」とは「カラスビシャク」をいうのだという。これはサトイモ科のウラシマソウなどの仲間。仏炎苞から一本の花の先がまっすぐに伸びだした特徴的な姿をしている。庭や畑に生える雑草で、わが庭にもはえてくる。なかなかうまく写真がとれない。

烏柄杓、と漢字で書いて地中に魂茎があり、それが漢方薬になるという。吐き気を止める効果があるという。

宇都宮貞子さんの「夏の草木」を読んでいると、各地にいろんな呼び方がありその一つに「カラスのてっぽう」があると記している。私も記憶をたどればこの「カラスの鉄砲」だった。地中の魂茎を採って売ると日銭稼ぎになったとも書いている。漢方薬の材料として買い手があったということだろうか。

 

そして全く別ものだが「すずめの鉄砲」もあった。

病的な「半夏生」より「カラスの鉄砲」の方が私には親しみが持てる。

庭にカボチャを

庭園にかぼちゃ咲かせてポストモダン

 

農協で野菜の苗を見ていたら、カボチャの苗が目にはいり、ふいにカボチャを植えてみたくなった。といっても畑はない。

さてどこに?と考える。

こいつは野生的だからどこでも大丈夫そうだ。では庭の花畑、野草が乱雑に植えてある中に植えてみよう。つるが伸びて庭を這いまわり、それをまたいで歩くのも面白そうだ。ということにした。

6月に入って、黄色い花をつけ始めた。

ぼってりとして田舎っぽい。しかし憎めない雰囲気を漂わせている。源氏物語の夕顔の巻を思い出した。で、後日夕顔も買ってきて植えてしまった。

数日後、草取りをしていてやたらに増えた野菊を引きぬいたら、間違えてカボチャの茎を折ってしまった。ああ、これでダメかな、と思いきやまだ茎をのばして花をつけてくれた。折れたところは回復している様子もないのだが・・・大したものだ。

庭にはキキョウが咲いてきた。ウツボグサが夏らしい花をつけている。ギボウシも花をつけて傾いでいる。ホタルブクロも重くて寝ている。ナツツバキは毎日100個ほども咲いて落ちて掃除が大変。ナンテンもパラパラ花をまいている。

こんな中で、カボチャはやっぱり異質だ。でもわが流派のない庭にはお似合いかもしれない。別にポストモダンなんていう哲学がある訳ではないけれど・・・。

うっとうしい季節にはうってつけの黄金色が映える。

キキョウソウの仲間たち(キキョウ科)

振り向かずただ夏野行く二人かな

梅雨に入ったという夕方、散歩していると道の脇にキキョウソウを見つけた。

紫のぱっちりした花を数個つけて、茎はまっすぐに30センチ以上も立ち上げている。花の大きさは1.5㎝くらい。茎の下部に見えているのは閉鎖花といって開かない花。側溝のコンクリートの狭い隙間から並んで生えていて、どうもこうした厳しい環境を好むようだ。以前九州で見かけて以来で、静岡では初めて目にする。

 

似た花にヒナキキョウソウという小型種がある。こちらは背丈はずっと低く20センチ以下くらいのが多い。花は余り開花せず、茎の頂上に1つ咲かせているものが多い。炎天下のグランド脇など乾燥した所にしぶとく咲いている。

 

また、よく似た花にヒナギキョウがある。こちらはひょろっとした茎には枝葉が無くて先っぽにこれまたかわいい乙女のような薄紫の花を一つつける。こちらは在来種である。

 

さて、私が参考にしている外来植物の本も古くなってしまった。淺井康宏著「緑の侵入者たち」だが、発行は30年前の1993年のものだ。しかし調べると嬉しいことに「キキョウソウ」は一項おこしてふれていた。

それによると、キキョウソウは北アメリカ原産で、主に第2次大戦以後みられるようになったもの。ヒナギキョウソウは昭和の初めに確認されており、この名前は前川文夫氏がつけたのだという。

「この仲間、欧米ではビーナスの手鏡と呼ばれ、可憐な野草として親しまれている。」牧野富太郎博士は、これにダンダンギキョウと名をつけた。キキョウソウは、密入国者のなかでも可憐な好ましい存在で、もっと増えてほしいものの一つである」。と結構肩入れをしている。

 

いずれもキキョウ科だが、名前がみな近似値で混乱する。一工夫あってもよかったように門外漢は思う。

本当のキキョウは、そろそろ蕾が小さくできてきた。今年は開花が早いかもしれない。