殺人ロボット

働くはロボットのみの酷暑かな

 

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ジュネーブで「殺人ロボット兵器」の規制を話し合う国連の会議があり、国際人道法を順守するなどの議長報告が取りまとめられたが、各国の意見の隔たりが大きく、法的な拘束力を持つ条約などによる規制は難しい状況のようだ。

 

殺人ロボ・・・人間ではなくロボットが標的を判断して、攻撃する兵器だという。ロボットに支配された未来都市など、SFなどではすでにお馴染みだから、そんなに吃驚するものではないが、現実がSFに追い付いてきて、実際の話になってきた。改めて自分が標的にされたら、と考えると慄然とする。地上から空中から監視され、逃げようがない、反抗しようがない。相手は正確で無慈悲である。

例えば香港の抗議デモにこれが登場するようなことが、将来的にありうるかもしれない。時の権力者がロボットに命令を下したら、人間社会は破滅してしまう。

 

ロボット三原則」という発想があった。ロボットという造語の親であるアイザック・アシモフが提唱したもので「人間に危害を加えない、人間の命令に従うこと、ロボットは自己を守ること」の三つとなっている。鉄腕アトムを思い出す。

 

しかし心優しいアトムばかりではない。

昔の映画だが、「2001年宇宙の旅」では、ハルという巨大コンピュータが宇宙船の乗組員を殺すという話があった。不気味な感じを受けたものだ。

 

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手塚治虫ブラックジャックにも「U―18は知っていた」という似た話がある。未来のアメリカの巨大病院では、患者の治療を始めとして、病院の管理一切を巨大コンピュータ「ブレインU-18」が取り仕切っていた。これが回路の一部に故障がおきた。あろうことか「ブレインU-18」は反乱を起こし、「自分は病気だからブラックジャックを48時間以内に呼んで自分の治療に当たらせろ、でなければ患者約900人を殺す」と要求して、技術屋の修理を拒否する。

紆余曲折の後、ブラックジャックは治療に当たり回路のショートした線を交換するのだが、術中に電源を落とした「ブレインU-18」を分解しようと病院側が乗り込んでくる。ブラックジャックは、機械であっても自分の患者だ、と言って身を挺してコンピュータを守りぬく。

術後、「ブレインU-18」は「人間を治すのは人間にしかできないことが解った、自分は機械として働く」と言い、ブラックジャックに深く感謝する、というストーリー。

手塚治虫のロボットに対する健康的な信頼が感じられる漫画である。

 

それからもう半世紀。愚かな話で、今殺人ロボットの開発競争が真っ盛りだという。米ロは、効率的で的確な攻撃が可能で一般人の人的被害も減少するメリットがあると主張する。原爆開発と同じ歴史だと思わざるを得ない。

蜘蛛を殺してゴキブリ増える

地球儀を乗っ取りゴキブリ黒光り

 

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我が家は、いつになく今年はゴキブリと大蜘蛛が多い。

古い家だから隙間だらけなのだが、それでも例年ならゴキブリはせいぜい2,3匹を見つける程度。今年はもう10匹を超えている。ゴキジェット(殺虫スプレイ)も買い足し、毒餌もホイホイもあちこちにおいてある。

 

f:id:zukunashitosan0420:20190818101816p:plain アシダカグモ 

 

蜘蛛はとても大きい。

ものによっては大人の手の平ほどもある大きなものがはい出てきて、これがまた素早いので、簡単に捕獲はできない。障子戸を這い上がると、バサバサっと音がして、不気味なことこの上もない。巣を張る蜘蛛ではないようだ。

これまで蜘蛛は益虫だからといって、外に追い出していたのだが、数が多いので昨年からは見かけたら殺す方針に切り替えていた。

 

先日、たまたま大蜘蛛を調べてみようと思い立ち、ネットを見たら、アシダカグモというらしい。人間には害はないという。

そして驚いたことに、なんとこれがゴキブリの天敵であり、アシダカグモが2,3匹いる家ではゴキブリは半年で全滅すると説く昆虫学者いるほどだという。江戸時代にゴキブリ駆除のために熱帯地域から輸入された、との説もあるという。(以上ウィキペディア参照)

 

蜘蛛は益虫だといわれているが、この記事には目からうろこが落ちた。

どうやら我が家では、アシダカグモを殺して、ゴキブリを増やしていたのかもしれない。作戦変更である。

 

(写真も、ウィキペディアから借用)

富士山の原生林を歩く

涼しさや富士原生林の苔深し

 

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富士山なら幾分は涼しいはずだ、と期待して、先日友人と、富士山中腹の原生林を歩いた。 

夏山の繁忙期になると富士宮新五合目へはマイカー規制され、水が塚駐車場からシャトルバス(往復1500円)かタクシーのみとなる。この駐車場も有料(1000円)、さらに登山は入山料(1000円)がかかる。都合一人3,500円になる。世知辛くなった。

 

で、我々はスカイライン脇の空きスペースに車を停めた。標高は1400mほど。ここから御胎内を経由して幕岩(1700m)というポイントまで往復した。幕岩は溶岩の岩壁で、高さ30mほど。そこから涸れ沢が山肌をえぐって目もくらむ崖に落ち込んでいる。途中の原生林は道はしっかりしていて、迷う心配はない。針葉樹と広葉樹が混生した森には意外なほど大木がたたずんでいて、林床は厚く一面に苔むしている。そんな中を平坦な快適な道が続いている。

のんびり歩いて、約4時間半の行程で、その間5,6人と出会っただけだった。実に静かな山を満喫できた。 

あまり花を見てこなかったのだが、出会った花を記録しておこう。やはり低地のものとは幾分違っている。イケマ以外は半日陰に分布していた。

 

サワギク (キク科) 花は直径1㎝ほど。林床に50㎝ほどの背丈で控えめに咲いている。 

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シロカネソウ (キンポウゲ科 これも直径1㎝ほど。清楚な感じがする。あまり図鑑に載ってこない。 

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イケマ (ガガイモ科) アイヌ語で大きな根という名前を持つ。林間の日なたに旺盛に蔓を伸ばして絡みついている。ガガイモかと思ったが、花が幾分異なる。 毒草で、アサギマダラなども食草としている。黒い蝶が来ていた。

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オオバノヨツバムグラ (アカネ科) 同定にはあまり自信がない。うっすら日差しの林下に小さい花をつけていた。

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この度YAHOOから引っ越してきました

よろしくお願いします。

この「移行」というのが、簡単そうでいてわかりにくかった。

まずはてなのIDが拒否されたので、変えて入れたら、なんだ!二つできてしまった。

指示にしたがって進めると、あれ!もう「移行中」になってる?。ので不審に思いながら、そのまま28時間電源を落とさずに待機。さすがにおかしいと思って止めて、いろいろ調べても、悲しいかなIT音痴。まず言葉がわからない。

2日ほど頭を冷却させて、やってみるが、同じに「移行中」になる。また2日ほどおいて、しらみつぶしにステップをチェックしながらやると、「よさそう!」で、やっと成功した。

なんとも、IT弱者にとっては、ストレスの多いことよ。

という嘆き恨みで、始めます。

イモムシころころ?

いもむしに射竦められて引き下がる
 
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(遠く離れて撮影。嫌いな人は見ないで!)

ふと気が付くと、庭のムサシアブミの葉がない。下に大量の糞が落ちている。
しまった食べられた!と思って、のぞき込むと、強烈なのが居た。
それが写真の芋虫!
どう見ても蛇、しかもマムシだ。
その眼差しが鋭くこちらを見てくる。まさに視線に射竦められてしまう。(本物の眼ではなく、模様なのだが)
 
調べると、スズメ蛾の幼虫のようだ。
私がこれまで見た気持ち悪い芋虫の、トップスリーにランクイン。あと2人は、カレハ蛾、アケビコノハの幼虫。思い出すのも気持ちが悪い。
恐る恐る長い柄で確保して、近くの畑の藪に放り込んだ。触ってないけど、あとで手をよく洗い、うがい。
 
それにしても、この擬態の精巧さには恐れ入る。自然淘汰や突然変異による生物の多様性、なんていうけれど、やっぱり誰かがいたずらで作ったんじゃない?
 
(今年もカラタチがアゲハの幼虫にすっかり食われた。何羽か巣立ったに違いない)

ひまわり雑感

ひまわりの十四五本もありぬべし
 
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ヒマワリの絵といえば、ゴッホと相場が決まっているが、ゴッホには何枚かのヒマワリの絵がある。損保ジャパンの持っているヒマワリの絵は、花が十数本ありそうだが、これは面倒だが一つひとつ数えないとわからない。
そう思うと、自然に上記の句が生まれる。
 
子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」もまた、数えるのが面倒だな、という句かもしれないなんて思ったりする。
ゴッホの絵は1888年、子規の鶏頭は1900年の作。意味もない連想。
ちなみに虚子には「向日葵が好きで狂いて死にし画家」という変な句がある。ゴッホのことと思われる。
 
ヒマワリの下戦後の半ズボン
 
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昔、ソフィア・ローレンとマストロヤンニの「ひまわり」という映画があった。
新婚の二人を戦争が割いて、男はロシア戦線に送られる。そして終戦になっても戻らず、消息もない。女はロシアまで探しに出かけると、男は命を救ってくれた女と家庭を築いていて子供もいた。それを見た女は列車に飛び乗りイタリアに帰るが、その後男が意を決して戻ってきたときには、既に女も結婚しており、男はまたロシアに帰る。悲しい戦争映画である。
派手なつくりのソフィア・ローレンの顔が、泣きっ面になる。つくづく男は女の泣き顔には敵わない。
 
この映画に、ひまわりが地平まで一面に咲いているシーンが出てくる。当時この光景は信じられないほどだったが、今は日本でもあちこちで見られるようになった。日本は観賞観光用だが、ロシアでは食用、油用だという。現在でもひまわり栽培の世界一はウクライナである。
 
どうしてあんなに一面に咲くのかと考えると、ひまわりの花がみな同じ方向を向いているからだと気が付く。皆こっちを見ている。
ヒマワリは、太陽の方向を向いて一日動くと言われ、それが向日葵(ヒマワリ)という名にもなっているのだが、どうやらそれは俗信らしい。牧野富太郎翁は「世人は一般に、ヒマワリの花が日に向こうて回るということを信じているが、それはまったく誤りであった。先年私が初めてこれを看破し…」(*1)と威張っている。しかし、回らないけれど東のほうを向く性質があるのだという。
ということは、花を見るには畑の東側から西方を見ないといけないから、地球儀でいえば、ロシア側からウクライナ側を見ることになる。両国の戦闘を思い出してしまう。

*1 「植物知識」 牧野富太郎 (講談社学術文庫

大磯の「高来神社」参拝

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大磯町にある高来神社に詣でたので、記録しておく。
 
大磯は、旧東海道の松並木もよく残されていて、静かな風情のある街だった。同じ湘南といえど、鎌倉葉山あたりの浮ついた観光地の雰囲気はない。かつては鎌倉もこうした落ち着いた風情だったのだろうかと思わせる。町では復旧された旧吉田茂邸も見学することができた。
 
さて、「高来」はタカクと読むが、もともとはコウライ、高麗である。神社のある辺りは大磯町高麗という地名であり、神社の背後にある円錐形の山は高麗山(こまやま)で168m、地元では高麗寺山とも言われかつてこの山腹に上宮があったという。
 
以下、上田正昭神道と東アジアの世界」(徳間書店)を参考に神社の由緒を考えるとする。
 
高麗は、朝鮮北部にあった昔の国である。が、ここでいう高麗は高句麗を意味している。
高句麗は、3世紀初めころ現中国東北部に国を興し平城を都として発展した国で、今の北朝鮮あたりに相当する。668年に唐・新羅に攻められ滅亡した。
当時朝鮮半島は動乱の時代で、新羅が勢力を伸ばし、百済は滅び、日本は白村江で大敗し、恐れた天智天皇は都を大津に移している。大変な時代であった。

国が動乱すると民が逃げ出すのはいつの時代も同じだが、やはりこの時期、大陸から日本に多くの人が逃げて来ている。高句麗人も王族を含め多数渡来していて、日本書紀などにも多くの記述がある。
かれらは、たぶん船を仕立てて日本海を渡り、山陰や北陸に漂着したのだろう。おおくが難破し多くの人が命を落としたに違いない。地中海のシリア難民を想像する。

亡命してきた人たちは各地に住みついたが、「続日本紀」の霊亀2年(716年)5月に、「駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野7国の高麗人1799人」を武蔵国(埼玉県)に移し、高麗郡を設置したと記されている。

高麗郡に祀られたのが現在の埼玉県日高市にある、高麗神社である。祭神は高麗若光という祖先であり、高句麗王族の一人ではないかと考えられている。2017年に先の天皇皇后が高麗神社を親拝されているという。

大磯の高来神社の伝承では、高麗若光相模湾の大磯に上陸してこの地を開発し、その後武蔵に移住し、高麗郡の長になったという。上記の高麗人の移住の記事に符合している。
 
日本の各地にコマの音を持つ地名がある。それがすべて高麗だとは思わないが、1300年ほど前の動乱による人々の亡命の痕跡でもあることも一部は間違いないのだろう。彼らは優れた産業・土木などの技術や漢字文化を持ち、やがて日本人となって国土の開発に携わった。しかしそういう歴史を今現地から感じとるのは難しい。地名がわずかにその匂いを感じさせるだけである。
 
高来神社は社務所がなさそうで、御朱印はもらえなかった。後ろの高麗山から下りてきたハイキングのシルバーさんたちがにぎやかにお参りをしていた。
駐車場が分からずに難儀したが、参道をはいり鳥居の右へ4,50mいくと左に入る細い道がある。


・・・ついでに、旧吉田茂邸にて

プリンセスミチコを泣かせ虎が雨
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吉田茂はバラ好きだったという。大きなバラが好みだったらしい。
吉田邸にはバラ園がちょうど盛りだった。写真はプリンセスミチコ
ちなみに「虎が雨」は俳句の季語だが、曽我兄弟の物語の兄十郎の愛人が、
大磯の遊女「虎」で、彼女は十郎の死後生涯その菩提を弔ったといわれている。
「虎が雨」は十郎の命日旧暦5月28日に降る涙雨。新暦では6月30日に当たる。