ツバキ「玉之浦」の子ども

赤白に競ひて散りぼふ椿かな

 

(今年の花はまだ来ないので、2年前のもの)

 

「玉之浦」という椿は、紅色の花弁に白い縁取りが鮮やかな美しい花で、かつては好事家垂涎の的だったらしい。我が家の庭にも一本あり、園芸花木には興味のない私でさえ、花の時季にはやきもきさせられる。

 

「紅い花」てふ漫画懐かし椿落つ

(落花の美しさも)

 

椿は、実生で咲く花は親に似ないらしい。何故そうなのか園芸の知識のない私には不思議なことである。親と同じ性質の花を得ようとするなら、挿し木などで増やすしかないということらしい。(園芸通なら当たり前のことかもしれないが)

その実生の幼木に、今年は花がついた。

驚いたことに、親とは似ても似つかない姿である。子どもは大柄でぼってりとして花弁は幾重にも重なっており、紅色だが白い覆輪はない。重そうで細い枝は折れそうに垂れ下がっている。

(あの親にしてこの子あり)

2月初旬、近くの岡部町というところにある椿園を見にいった。花はまだだった。手入れをしているおじさんに玉之浦の実生のことを話すと、

「玉之浦は良いですね、でも実生は親とは違うからね。その実生は新しい種かもしれないよ」と説明してくれる。新しい種、ということは世界に一つということか、となにか感心した。

「この2,3年日本中に、椿の病気が流行って、花が腐ってしまい実がつかない」と嘆きながらまた、消毒に向かわれた。

 

新しい花かもしれない、という言葉は私を刺激した。

「玉之浦」は長崎県五島列島にある福江島の玉之浦で発見された花である。このたった一本の原木から「玉之浦」は世界に広がった。実生ではだめなので挿し木で増えたのだろう。

この地域のNPO法人「カメリア五島」が出している「まぼろしの椿 玉之浦」という冊子を福江島から取り寄せて読んでみた。原木発見の経緯や、白い覆輪が出るメカニズムについての九州大学の遺伝子解析、玉之浦から生まれた新しい品種などについて、地元ならではの愛情をもって編集されていて、いい本だった。福江島が椿のジーンバンクとしても特異な地域であることも教えられた。

この本のなかでも、私の家の実生の花に似たものは、掲載されていない。ではやっぱり新しい品種だな。名前を付けようかな。などと一人悦に入っている。

 

参考

zukunashitosan0420.hatenablog.com

光岳小屋・・・想いだすこと

ラジオをかけたら、最近新たに光岳小屋の管理者になったという女性がゲスト出演していて、色々な話をされていた。40年ぶりに管理者が交代し運営形態も変わったと報じている。若々しい大変明るい女性で、開業を11月まで延長したり、ランチを提供するというような話を元気な口調で話していた。バイタリティーあふれ発信力もありそうで、小屋のイメージも変わるのだろう。こうして時代が変わるのか、という感がした。

(新しい小屋 屋根の上に見えているのはイザルガ岳 ウェブから借用)

光岳は南アルプスの稜線の南部にあり標高は2592m、アクセスが悪く登りがきついために中々近づきにくい山なのだが、深田久弥百名山に選ばれていて最近は登山者も多いようだ。私の甥っ子H君も百名山登頂を目指しており、聞くと先年、飯田市の易老渡からのルートで登ったと言う。

光岳小屋は、光岳山頂から15分ほどのところにある。

 

ラジオを聞いていて、私も30年前に苦労して登ったことを思い出した。

私は、たまたま本川根町(当時)の方から同行しないかと誘われて営林署の方や登山協会の方と一緒に登るチャンスを得たのだった。なんと山小屋では食事付きという好条件だった。(当時光岳小屋は食事は出していなかったと記憶する。)

メモを見ると、早朝に役場を出た車で寸又川林道を30キロほど遡り(ひどく荒れていた)、柴沢登山口から直ぐに急登に取りついたが、前夜はあまり睡眠をとっていなかった私は皆から徐々に遅れ、疲れて腰を下ろすとそのままうとうとしてしまった。目を覚ますと小屋の管理人の原田さんが、私のすぐ脇で待っていてくれた。細い体の人で細面で少しあごひげが伸び、極めて物静かな方だった。彼は一服しながら普段は東京で仕事をしていて夏だけここに来ること、光岳はハイマツの南限であることなど物静かに話された。そうしてまた大きな荷物の背負子を担いで、百俣沢の頭まで同行してくれた。そんなことがメモしてある。

(柴沢の登山口(と思われる) このルートは今はどうなっているのか知らない)(黄色いシャツで俯いているのが当時の管理人の原田氏)

インターネットで見ると、山小屋は当時と比べて見違えるほど立派になっている。当時は平屋で中に入ると畳敷の部屋がひとつあるだけ。たしかその真中に炉がありストーブが燃えていて、それで暖を取りながら寝たような記憶がある。南アルプスの他の山小屋、たとえば千枚小屋や赤石小屋と比べて、とても粗末な小屋だった。小屋の中や外見、光岳などを描いた手書きの絵葉書を2,3枚をいただいて持っていたはずだが、今回探したが見当たらない。断捨離したのかもしれない。わずかな写真が手元にあるだけだ。記憶もぼんやりしているから間違いもあるかもしれない。

 

(1996年8月時点の光岳小屋  バックは南アルプス南部の峰々)

けれど私の記憶で鮮明なのは、夜中の事件だ。

この夜は初老の客2人も投宿していて、我々一同と一緒に酒を飲み、話もいろいろと交わした。お2人は聖岳の方から縦走してきたといい、登山人特有の踏破した山自慢を披露した。しかしその一人は、奥さんを亡くしてから登山を始め、何やら憑かれるように山に来ている、という風なことを漏らした。そしてだいぶ酩酊してきていた。その夜はひと間に10人ほどがストーブを真ん中にして雑魚寝をした。

ところが真夜中、突然の大声に、何事か!と皆びっくりしてたたき起こされた。大声の主はあの酔った人だった。はっきりはしないが大声で謝っているような物言いで、「俺が悪かった、許してくれ」とか言っている。それがしばらくの間続き、みな辟易してしまったのだが、やがて徐々に静かになり、みんなまた深い眠りに落ちた。

 

後々、私はこの出来事を思い出しては慄然とした。自分では背負いきれないほどのマイナスを感じて、贖罪のように追いたてられて山に向かい、きつい坂を喘ぐ。そういう試練を自分が生きていることが罪悪であるかのように自分に課している。それでも気を緩めるとマイナスが噴出してきてしまう。酔いに過去を忘れようとしても、山小屋まで追いかけて来る暗い怨念。この人にも何か救済があってほしいものだ。勘ぐりすぎかもしれないが、そう感じたのだった。

 

もう一つ、連想されたのは藤森栄一さんの「古道」にある「ルング・ワンダルング」の中の「身の毛のよだつような」奇譚。(ルング・ワンダルングとは、方向感覚を失ってほぼ同じ所をぐるぐる回ってしまうこと)

藤森少年は友人らと、釜無川を詰めて甲斐駒の鋸を踏破しようとしたとき、第3キレットの近くで、あり得ぬことに人が寝ていた。恐る恐る帽子をとって、見ると、・・・それは死骸だった。しかも生きているように新しい。皆恐怖に震えて必死に岩場を越えて甲斐駒の行者小屋に逃げ込んだ。ところがその夜更けに「キーン、キーンと石突で岩をつつくような響きが断続的に聞こえてき」て、小屋にいた行者は「・・・また来やがったナ・・・と、ぶつぶつ言って、祈祷をはじめた。」行者は呪文を唱えたまま、そのうちに「ぽいんぽいんと跳びあがり始め」、そのままひっくり返ってひきつったように口から泡を出して呪文を続けていた。少年らは恐怖でまんじりともできない。

翌日はまたキュレットのルートを引き返した。そうして例の場所に来ると、死骸は、・・・まだあった。しかし死骸の頭が逆向きなっている、動いているのだ。少年たちは死骸を飛び越えて、追ってきそうな恐れを感じて懸命に逃げた。そうして必死に辿り着いたのが、なんと今朝出立した行者小屋だった。気づかぬうちにまたバックしてしまったというのだ。

 

藤森さんの経験した「身の毛のよだつ」ルング・ワンダルング。そして行者の不気味な闘い、山にはこうした人知を超えたものがあるに違いない、と私は思う。光岳小屋での夜中の出来事は、必ず藤森さんのこの奇譚を一緒につれて記憶の奥から出てくるのである。

いろんな意味で光岳は私にとって思い出深い。

(イザルガ岳からの日の出 富士山のシルエットが美しい)

 

水鳥の幾種かを

水鳥は哀しくもなし波のまま

 

近くの沼のぐるりを歩いた。ゆっくりで小一時間はかかった。この時季は野鳥がたくさん見られる。けれど残念ながら私は鳥には全く目が利かない。

白鳥くらいは分かるが、コハクチョウオオハクチョウかは、よく分かっていない。

今日は白鳥が5,6羽、沼の反対側の葦辺にみられた。ここ数年毎年のように見られるので、もうあまり感動がなくなってきて、最近は白鳥を狙うカメラマンの姿も少ない。私の小型カメラで一枚。

カモの仲間は、区別がつかないので無視する。オオバンなどにも眼をむけない。

 

 

池の端を静かに歩いているのだが、足下からカモやサギが大声を出して飛び立つ。逆にこちらがびっくりしてしまう。静かといえば、寒鮒釣りの人たちは本当に静かに水面を見たまま動かない。こんな沼での釣りは何が楽しいのだろうか、孤独に沈潜している。

と思ってふいと釣り人の脇をみたら、なんとそのすぐ1mほどのところに大きなアオサギがじっと立っていて、釣人と並んで同じ水面を見ているではないか。これには驚いた。釣った魚の分け前を知って近くにいるのだろうか?

それにしても釣り人は、ほとんど三昧の境地で、忍法でいう、気配を消しさっている、と感心し半ば呆れて私も静かにその場を立ち去った。

 

(杭にとまるのはウミウでしょうか)

広い沼には棒杭が何本か立っていて、たいていそのすべてに鵜がとまっている。鵜はカワウとウミウとがいるが、この沼には両方いると思われる。今日近くに来たのはカワウだろう、どう猛な顔なので一枚パチリ。

(これはカワウか)

 

その先にゆけばカワセミの巣があるはず、と私が前々からにらんでいる場所だが、案の定、鮮やかな瑠璃色を見つけた。しかも今日は2羽が鳴きながら戯れ?ていた。初めてのシーンである。恋の季節なのだろうと決めつけてしまったが、もしかしたら縄張り争いなのかもしれない。しばらく見ていると何度か水に飛び込んだが、あまり真剣でもなく、獲れた様子はなかった。この季節は枯草の中で不釣り合いなほどきれいな色だ。

その他見えたものは、ジョウビタキ、つぐみ、メジロなど、いずれも正確に見分けることができないが、そんな類のもの。

最近の暖冬、沼を歩いていても汗をかく。鳥たちも多分しのぎやすいのだろう。みていても牧水の「悲しからずや」の感慨にはならなかった。

 

桜とピンクのマラソンランナー

寒村に緋寒桜や長屋門

 

大阪女子マラソンで前田穂南さんが、2時間18分59秒で走り日本記録を更新した。野口みずきさんの記録を塗り替えるのは19年ぶりだという。世界レベルにはまだまだ差があるが、驚異的な速さと持久力だ。

テレビ放映では音がよく伝わってこないのだが、ユーチューブでいろいろな画像をみると、最後の方はハアーハアーと激しい息づかいが聞こえてきて、画面を見るこちらも息が苦しくなるほどだ。あたかもふいごが肺に空気を送り込み、肉体は走る機関車そのものに思えてくる。こうした真のマラソンの激しさを伝えられるよう、テレビの実況アナウンサーの余計な大声は止めてもらいたいものだ。

前田さんの手袋と厚底靴の異様に大きく見えた。

前田さんの所属するてんまやのユニフォームはピンクがメインの色だ。ピンクや紅色は春をまついくぶん華やいだ気分にふさわしい。

近くの公園や安倍川の堤防のカワヅサクラは、そろそろ咲き始めている。木によって色の濃い薄いがあるようだが、写真のは堤防のもので、色が薄い方と言えるだろう。カワズサクラは早咲きなのだが、もっと早いのが緋寒桜だ。これも近くの農家の庭に咲いていて、もう八分咲きと言っていいだろう。濃い紅色の花をびっしりと付けている。写真を撮っているとメジロだろうか、忙しく飛び交わしている。

紅梅も木瓜も咲いてきた。

(堤防のカワヅザクラ

一月が早くも終わろうとしている。小さい絵を一枚描いただけだった。

50年間逃亡生活を送ったテロリストが、末期ガンで病院に運ばれ死の床で本名を明かした。事件については「悔いている」と言ったらしいが。彼にとって過去はどう思えていたのだろう。

不屈の横綱照ノ富士がケガで4場所ぶりに出場し、決定戦で琴の若を破って優勝した。横綱候補の霧島を放り投げ、琴の若を難なく退けた。

能登地震からひと月。まだ1万人余りが避難所暮らし。その半数は県市町の公的な避難所ではなく自主的な避難所だという。農業のビニールハウスで暮らしていた人たちはどうしたのだろう。

かたや国会は政治資金の議論で盛り上がっている。ダイハツ豊田織機の不正データ処理。

一月尽の雑感。

 

 

南天といえばヒヨドリ

鵯(ひよ)の口 南天の実の赤々と

ここ数日、庭の南天ヒヨドリが来て赤い実をついばんでいく。5,6羽でくると賑やかというよりピーピーとうるさいこと甚だしい。枝は細いが揺れながら上手に止って1個、2個と啄む。小さい鳥は一つ啄むと飛び立っていく。ホバリングしながら啄んでいくのもいる。

で、10ばかりもあった果穂が3、4日で、それはそれはきれいさっぱり実は1つもなくなった。啄んでいる様を見るとほとんど丸のみではないかと思われる。ヒヨは随分と南天が好きなようだ。

これが美味いものなのかどうか、試しに食べてみることにして実を探したが本当に一つも残っていない。仕方なく落としていった実を3つばかり、洗って口にすると・・・美味くもなんともない。糖分が少しあるかなとも感じるが、人間にはあまり味は感じられない。一体これを何粒食べれば、一日のカロリーが賄えるのだろうかと、ふと思う。

 

ネットで調べてみると、スズメの必要カロリーの計算が掲載されていた。

基礎代謝率(BMR)は、体重kgの0.75乗×129であり、1日当りの維持エネルギー要求量MER(Kcal/日)=BMR×1.5

なのだと言う。スズメは25グラム程度なので・・・おっと、0.75乗ってどう計算するの? これは3/4乗なので3乗してルートを2回開けばいい(これもネット調べ)とのことなので、

これを計算すると、ほぼ12kcalという数字が出てくる。

 

まあ全くの推量計算なので、大小や季節などでおおきな違いがあるのだろう。が、まあ20kcaとしてもミカンMサイズの半分程度。じっとしていればそんなくらいで生きていけるということだろう。もちろん遠くへ飛べばもっと必要となるはずだ。

ヒヨドリの場合は体重も多く、しかも喧嘩っ早いので常時アドレナリンがでているだろうから、もっとずっと多いと思われる。それをこんなナンテンの実で賄えるのだろうかね。私が心配する必要もないだろうが。

庭のエサ台には市販のフィードを置いているが、こちらにはヒヨは目向きもせず、スズメとハトしか来ない。餌はヒエ、アワなど穀類や木の実などで、カロリーが高そうなのに。ところがまたメジロもこれを食べずに、ミカンにしか目がない。棲み分けと同じで食べ分けをしながら、上手に共存しているということだろうか。この辺り、人間より賢そうだ。

メジロが、そんなもの食べれるの?と不思議そうに見ている)


わが庭の赤い実たち、ナンテンマンリョウ、センリョウは、そろそろ小鳥によって食べ尽くされ糞に紛れて遠くへ運ばれる、そんな時期になったようだ。

春が隣りまで

梅の香やほのかに寒肥も混りたる

近くの日当たりのよい山すその梅が、もう満開と言っていほど咲き誇っている。春がもう近くまで来ているようで、今日も「春隣り」という季語を実感させてくれる陽気。

寒とはいえ今年は暖冬で、ここ静岡は(私の家では)まだ薄氷も張らない。強烈な寒波だとかドカ雪だとかのニュースも他所事である。

(静岡ではミカンとウメは一緒)

庭に寒肥をいれる作業を始めた。と言っても十坪ほどしかない寸土の庭なので、鶏糞を2袋いれるだけ。それを毎年のルーチンでやっている。でも効果があるのかどうかはよく分かってはいない。おかまいなしに椿は今年は10ほどしか蕾がないし、柿の木も昨年は4つしか実をつけなかった。

土を掘り返すと、何かの球根やら地下茎などにすぐ掘り当たる。ああ、そうそう去年キキョウを植えたっけ、そうそうナルコユリはここだっけ。参ったなあ、という具合で作業は一向にはかどらない。

(ムサシアブミ 赤いのは去年の種。実生を試みているがうまくいかない)

鉢植えのムサシアブミが、もう芽を伸ばしている。今年は10以上出てきている。バイモユリも2,3センチの芽を伸ばしている。慎重派の節分草はまだ土の中だ。

まだ寒波が来るだろうから、繊細なムサシアブミの芽は凍るといけないので玄関に取り込むことにしている。過保護だといわれるが、それでも凍ってしまうよりはいい。

(バイモユリの芽)

世界遺産 三保の松原と御穂神社初詣

初富士や駿河に寄する波の花

(三保の浜から暮れ近き富士山)

初詣は元日の午後、清水三保の御穂神社に詣でた。

言うまでもないが三保の松原と富士山の景勝は世界遺産。浜には初日の出を見ようと多くの人が集まってくる。車は大渋滞する。私が訪れたのは午後も2時を回っていたが、浜には新年を楽しむ多くの人がでていた。風もないさわやかな浜である。富士山は雲に見え隠れだったが、いかにも大きい輪郭を空に描いている。

 

浜の松原は三万本ともいわれるが、伝説の「羽衣の松」は太く黒々と枝を伸ばしていて、現在は3代目だそうだ。この松から御穂神社までは直線で500mも続く素晴らしい松の並木道になっていて、称して「神の道」という。これは参道ではなく、神の通られる道であって神は海から来られてこの道を通られ、社に入られる、のだという。

(神の道 500m近く続く)

でも、いまは参拝者(特にこの日はカップルが多かったが)の道である。この「神の道」だけでも参拝するに価値がある神社である。私も全国の一の宮を巡ったが、これに匹敵するものはない気がする。

参拝は鳥居から並んで順番を待ち、10分はかかった。両側に屋台が出ていて、つい何かを買いたくなる。子どもがせがんで泣くのもまあ当然かもしれない。

 

さて、御穂神社の祭神は、大己貴命 (三穗津彦命) 三穗津姫命

「創建の時は不明であるが、千古の昔より、三保の中心に鎮座し、三保大明神 とも称せられ、国土開発の神、海の神と崇められると共に天から天女が 舞い降りた「羽衣伝説」ゆかりの社としても名高く朝野の崇敬を あつめた延喜式内社である。」と神社の由来看板にはある。

「神の道」をまっすぐに海へ延長すると、「その線は伊豆半島にも御前崎にもぶつからず、両者のまんなかを太平洋にむかってぬけてゆく。その彼方は神の国常世」であり、松並木は常世の国から神が来臨する「神の道」なのである。」(野本寛一「日本の神々」10)

富士を仰ぐ浜、そして松並木へつづく佇まいは、神の来臨を表現した素晴しい神域構造である。人はここに入ると、この構造の一部となってしまうようだ。

 

千古の昔、海から来臨した神とはなんであろうか、とつい考えたくなる。海から来る神と言えば、海神(わたつみ)の神であろう。それは常世の龍宮、ニライカナイの神であり、海の豊饒の神であり、航海の安全を守る神といわれている。

しかしここに羽衣の天女がからんでくると頭が混乱する。

(3代目の 羽衣の松 :まん中の樹)

海神の神は、水平線の彼方から来る水平の霊威である。だが天女は天から舞い降りる、垂直の霊威である。

このふたつは矛盾するので、おそらく御穂神社の神格と天の羽衣とは、もともとは別のものだったように、私には思われる。

羽衣の松の近くに、羽車神社という摂社が鎮座している。私は以前は気づかなかったので、恐らく石の祠ていどだったと思われるが、最近は少し立派に整備されて、浜に来た人々が手を合わせたりしている。羽車とは奇妙な名前だ。

竹取物語かぐや姫は天人が迎えに来た「飛車」に乗って羽衣をまとい去っていった。飛車と羽車。何か共通性がありそうだ。

 

もう一つ。羽衣といえば、御穂神社から西に8キロほどに、その名も「天羽衣神社」がある。この社の祭神は天女であり、素朴な羽衣伝説が伝えられている。そうして古代朝廷いらい、駿河舞いという芸能が伝えられているといい、その歌詞は次の通りだ。

 や、宇度浜(うとはま)に 駿河なる 宇度浜に 打ち寄する波は 七種(ななぐさ)の妹(いも) 言(こと)こそ佳(よ)し

 言こそ佳し 七種の妹 言こそ佳し 逢へる時 いささは寝なんや 七種の妹 言こそ佳し

これが、三保の松原の天の羽衣と同じものなのだろうか。そんな気もする。

でも一体、空から舞い降りた天女とは、何なのだろう。美しい鳥から空想したのだろうか?迦陵頻伽という半身は人間、足は鳥で、極楽で美しい声で歌う空想の生き物がいるが、これは鳥と天女の中間の感じがする。

 

三保からの帰り道、運転中にいきなりラジオから「緊急地震放送!」の大声が入って、度肝を抜かれた。まさかこんな大災害とは思いもしなかった。初詣の余韻もいっぺんに吹き飛んでいった。羽衣も頭から消し飛んだ。

被災された方々の一刻も早い復旧を願うばかりだ。