セツブンソウと気象庁の生物季節観測

節分草ユーゲント・シュティールの色を咲き

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(これは昨年の花  今年はまだ小さいツボミ)

 

今年の節分は2月3日ではなく2日で、これは124年ぶりだという。従って立春が3日になる。ようやく春だ。 

我が家の鉢植えの節分草が、やっぱり暦に合わせて咲き始めた。花茎を2センチほど持ちあげて、頸を下に曲げたままツボミを膨らませてくる。それは白い大豆のように見える。開花にはもう少し日数がかかるだろう。まだまだ寒い日が来るはずなので、眼を閉じたまま風の暖かさ、日の強さ、雲の流れ、気圧など気配をじっと読んでいるようだ。この辺が能天気な植物と違って、スプリング・エフェメラルと呼ばれる妖精たちの慎重さなのだろう。

鉢では節分草が少しずつ増えている。毎年種を株の周りに落として、それが出てくるようだ。花をつけるのは3年ほどたってからだという。管理がずさんな私でもこうして咲いてくれるのは、見かけによらず強靭な生命力を持っているのだろう。 

先ごろニュースで、気象庁が植物観測の種目を減らしたと報道していた。サクラの開花宣言がよく知られているが、他にもいろいろあることを初めて知った。これまでは「全国の気象台や測候所58地点で植物34種目、動物23種目を対象に、開花や初鳴きなどを観測している。」ものを、今年の1月から植物を6種目9現象に変更する、ということだ。対象に残された植物は、あじさいの開花、いちょうの黄葉・落葉、うめの開花、かえでの紅葉・落葉、さくらの開花・満開、すすきの開花の6種目9現象だ。これらは、「球温暖化などの気候の長期変化や1年を通じた季節変化の把握に適した代表的な種目と現象」とされた。単純に言えば、これまで57種目あったものが、6種目に激減する。

植物ではスイセン、スミレ、シロツメクサ、ヤマブキ、リンゴ、カキ、ナシ、キキョウ、ヒガンバナライラック、チューリップ、アンズ、クワ、シバ、カラマツ、チャなどがなくなるのだという。たしかに、仕方ないかなあという思いもわいてくる。

動物はすべてなくなるようだ。例えばウグイスの初鳴きやモズの高鳴き、ツバメやアキアカネアブラゼミなどはこれまで苦労して観測されていたのだという。これは残念というより、これまで調査されていたことがかえって驚きに感じる。ウグイスは夏も鳴くようになったしツバメも越冬している姿も見られる。もうこうした生物の現象は季節を表さなくなった、ということなのだろう。

気象というものは、じつはヘクトパスカルアメダスや降水確率というジャンルだけではなく、生活実感なのだということを、改めて教えてもらった気持ちもする。

これは俳句で考えれば、いわば季語が季節を表せなくなったことを示唆している。俳句の美の根幹が失われようとしている、ともいえる。季節喪失は俳句喪失につながるかもしれない。どうしたらいいのだろう?

メジロのつがいの愛情

メジロ二羽餌台に遊ぶ春新居

 

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       (ヒヨに追われて、木の上に)

庭にエサ台を作ってしばらく経つが、常連はメジロのつがいだけ。ヒヨドリはうるさいので、追い払ってしまう。ハトはエサ台に乗らないで下をうろうろ。スズメは近くにいるが、来ない。他の野鳥は、気が付いていないのだろう。そろそろ椿が開いてくるが、ことごとくメジロとヒヨに啄まれて、花弁が黒く潰れてしまう。今年は一枝に網をかけてみた。どうなるだろう。

 

メジロは必ずつがいで来る。一羽がミカンを食べていると、一羽は近くの庭木の枝に居て、見張っている。暫くすると、交代するのだが、それが本当に一瞬の早業。アッという間に入れ替わる。一体どうコミュニケーションをとっているのか。一度だけ二羽が一緒に餌台に乗ったが、すぐに一羽は飛び立った。メスオスの区別は、私にはつかないのだが、いくぶん大きい感じがするのがオスだろうか。とすると、先ずミカンに取りつくのは、メスのことが多い。・・・気がする。

 

居間の窓を開け放っておいたら、何かが中でどんどんと騒いでいる。アレっと思って室内を見ると、メジロが一羽紛れ込んでいた。それが外に出ようと硝子戸にぶつかっては、撥ね返り、天井付近をぐるぐる回り、ロッカーの上に停まったり、テレビの上に停まったりしているのだった。窓を開けて出そうとしたが、天井付近で騒ぐだけで一向に窓へ向かわない。仕方がないので窓は全部カーテンを閉め切り、一か所の窓だけを全開にして様子を見ていたら、フイッと飛び出ていった。

 

そのとき、庭木にいたつがいの一羽が、短く、ピー、と鳴いた。そして二羽は連れ立って飛び去った。

ああ、外で待っていたんだな。心配して待っていて、連れが出てきたので、思わず

「よかった!」と声が出たんだろうな、と思った。愛情、に近いものを感じ取った。

あんな小さな頭の中に、小さな脳が入っていて、その脳で、つれあいの異常を知って本当に困って震えていたんだろうな。そう思うと、ちょっとぼんやり家のメジロが、また愛おしく感じられてならなかった。

 

あんな怖い経験をしたので、もう庭に来ないかな、と心配していたら、何のことはない、その日の午後にはまたやってきて、相変わらず交代でミカンを啜っている。

おいおい、怖い思いを忘れないようにしてよ。

 

草木に寒肥を

庭十坪鶏糞二袋寒の肥

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句のとおり私は毎年この時期、庭木に鶏糞を二袋ほどこす。あちこちに穴を掘って適当に埋め込むだけだが、これを年中行事としてやっている。

この時季に春に備えて樹木や果樹などに肥料を施すことを「寒肥」といい、俳句では季語に定着していて、かんごえ、かんぴ、かんごやし、などと読む。

 

肥料の知識はないが、本当なら鶏糞よりも牛糞のほうが馬力がありそうなのだが、すぐ隣家なので臭っても困る。それで鶏糞を使っている。先日鶏糞を農協に買いに行くと、近くの美味しいと評判の卵やさんからでた鶏糞なので、

「新鮮ですよ」という。

「新鮮じゃあ困るんだよ」というと、もじもじして

「すいません。良く発酵処理してあるので、臭わないですよ」

 

俳句歳時記を開いてみると、寒肥は、どうやら下肥を畑にまくというイメージが強いようだ。一昔前まではそうだった。田舎育ちの自分にもそれは体験として知っている。今だって片田舎にいけばそうなのかもしれない。

例えば、こんな句も載っているが、現代都会人には通用しないだろう。

風の中寒肥を撒く小走りに  松本たかし

寒肥をまくというよりたたきつけ 川島彷徨子

 

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まだ寒く土も硬いこの時期に、肥料を施していると、柔らかい緑の芽吹きや日を浴びて開く花たちのことを思い浮かべる。チェコカレル・チャペックもそうだった。「園芸家12か月」の2月では、土の改良にあの手この手で精を出す姿をコミカルに描いている。

路上に落ちている馬糞を使いたのだが、

「ただ、微妙な羞恥心にひきとめられて、園芸家は馬の落とし物を往来で拾い上げないだけだ。しかし、舗道の上にかなりのかさの肥料がひと山ころがっているのを見るたびに、園芸家は「あアあ」と深いため息をつく。」

このエッセイは1929年頃に書かれているらしい。そのころ多分チェコプラハでは、馬が往来を闊歩して馬糞が沢山ころがっていた、そんな光景も眼に浮かぶ。日本の田舎でも戦後しばらくまで似たような状況だった。

 

狭い庭だから、半日仕事で寒肥は終わり。早く暖かくなって、コロナが収まって、のびのび遊びに行きたいものだ。

 

この挿絵はカレルの兄の描いたものだが、彼はナチの収容所で命を落としている。

駿河七観音巡りー6 平澤寺 

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             (観音堂

日本平丘陵の西斜面にたつ静岡県立美術館の南側の沢を上ると、標高約100mのところに平澤寺がある。この沢は、さらに上ると県が荒れた里山を整備したゆうきの森が広がっていて、家族連れの姿がいつも見られるのどかな場所である。

平澤寺を訪れたのは、秋も深い季節で畑には柿が色づいていた。この辺りは柿が多いようだ。

 

山門を入り、正面の石段を上ったところにあるお堂が観音堂。中は暗くて見えない。

寺の掲示によれば、行基が710~13年に地蔵尊を彫刻してここに草庵を建てたのが始まりで、ついで718年にのちの聖武天皇の病気治癒を願って駿河国で7体の観音像を刻み、最初の一体をこの平澤寺に安置した、と書かれている。古い寺であることは間違いないのだろう。

のちに今川義元もこの観音を信仰し、参詣の時に休憩する仮殿をつくったほど信仰が篤かった、とも書かれている。徳願寺などのような軍事的な役割はあまりなかったのかもしれないが、位置的には鬼門の方角に近く、そうした意味はあったかもしれない。

2月の節分は盛大に行われ、この地では有名である。(2021年はコロナ禍のためイベントは中止だという)。また観音堂の近くにはペットの霊場もある。

 

境内には役行者や不動の像などが祀られていて、また平沢神社がある。平沢神社については、「明治維新神仏分離令によって、平澤寺にあった12社権現を移して平沢神社とした。この12社権現は昔から平澤寺の霊場鎮守として上の山台地に祀られていた」と記されている。12権現は走湯権現金峰山金剛蔵王、白山大権現などで、修験の神であることが解る。

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            (平沢神社)

やはりここにも山岳修験的な修行の場があったと考えてもいいのだろう。道場はおそらく背後の日本平であり、そこから駿河湾に向かって崩れ落ちる急峻な崖一帯を含むものではなかったか。

崖の先には久能山東照宮があり、日本平山頂からはロープウェイで繋がっている。国宝の神社である。東照宮へは海岸から1,159段の石段を息を切らせて上らなければならない。そこは武田軍が来るまでは久能寺という寺院群が広がっていた場所である。久能寺は中世において駿河を代表する大寺院で、建穂寺と双璧だったといわれている。武田軍は久能寺を現在の鉄舟寺に移し、そのご久能寺は衰退の道をたどり、明治になって鉄舟が再興したという歴史がある。

 

平澤寺から旧久能寺への修行のルートがあったはずだと思うが、さてさて、あの恐ろしい崖をどうやって越えて、どんなルートだったのか、はたして現在たどれることができるのか、興味が湧いてくる。

HDMIとRCAで一苦労

マイナンバー ナンマイダーと 聴き違え (沢登清一郎さん)

「シルバー川柳5」(編集 全国有料老人ホーム協会+ポプラ社)から引用させてもらいました。

 

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おかしくておかしくて、腹を抱えて大笑いして、笑いすぎて顎がおかしくなった。

まあ実際こんなもので、私も大同小異。以下、恥ずかしいレベルの話。

 

暮れから、プレイヤーが読み込みが悪くなってCDがかからない。仕方なくネットで買うことにした。これまでDVDプレイヤーで兼用していたが、今回はブルーレイのプレイヤーにした。これでCDが聞けるはずである。最近はネット動画で済ませて、DVDはあまり使わないけど、無いのも何だし、という程度。録画は全くしないので、再生専用。私の耳は、あまり音質にこだわりがないので、安価なもので良しとした。

で、届いたので荷を開いたら、軽くて随分小さいものだ。今日日、デジタル器機は軽くて小型化が著しい。なんとも心もとないが、これでも性能は昔よりずっと高いのだという。

 

ところが接続しようとしたら、なんとテレビにもオーディオアンプにも繋ぐことができないじゃないか。あれあれ。

テレビはもう15年以上前のソニーで、ブラウン管の重くて一人で動かすこともできない重厚なもの。後ろのコネクターを見ると、昔からのいわゆるピンジャックである。オーディオアンプもデノンの重くてヨイショというもの。これもピンジャック。

 

調べると、買ったプレイヤーはHDMI端子というもので、我が家の古いテレビ・ステレオはRCA端子というのだそうだ。いまはもうほとんどHDMIなのだという。知らなかった。

困って悔しいので少し調べると、HDMIからRCAに変換する機器があるということを知った。ネットで少し知識をつけて市内の電気量販店とパソコン店に行ってみたけれど、店頭には無い。量販店では言われた。

「今はもう、そういうテレビがないので、扱ってませんね」。

ネットでは沢山あるのに、どうしたことか。店頭に在庫で置いておくのが不経済なのだろうが、消費者には不親切だ。で、アマゾンに変換器とコードを発注した。これで何とかなると思っているのだが・・・、あと数日すれば答えが出る。上手くいかないと困るなあ。

 

川柳とおんなじだ。

この歳になると横文字とデジタル機器についていくのは大変なストレスだ。そんなことも知らないのかと、呆れられることを、恥ずかしげもなく披露したが、ご同輩も結構多いんじゃないかな。今年も思いやられる。

まずメジロが来て

わが庭の淋しき極み小鳥来よ

 

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年の瀬になった。庭の草もほとんど枯れて、寂しい限り。寒菊が少しばかり咲いているが、それも勢いがなくなった。

余り殺風景なので、板と棒を適当にうちつけて、小鳥のエサ台を作った。

ミカンを置くと、すぐ来てくれたのがメジロ。他はまだ来ない。ヒヨはすぐに来そうだ。いろいろな鳥が徐々に来てくれるだろう。

枯れたといっているが、よく見れば、馬酔木はもう花芽がうっすらと赤い。モッコウバラも新芽が出ている。ナツツバキは銀色冬芽がふくらんでいる。冬というのは、植物のスタートだとカレル・チャペックがどこかで言っていたが、見ているとその通りだ。

東海地方は、連日乾燥が続いていたが、やっと少しばかり雨が降った。土が土色になった。ここまで異常な少雨だった。近くの安倍川も瀬切れになっているほどだ。

これがまた年末年始は大嵐になるというので、困った天気だ。

白鳥飛来する

逝く人は白鳥を追うがごとくに

 

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この温暖な静岡の地にも、白鳥が飛来した。噂は一週間ほど前から流れていて、私も探して歩いたが、見つけることができず気にかかっていたのだった。

 

「いま、白鳥が見られるよ!」と散歩中の家内から携帯が入ったので、慌てて沼に駆けつけると、枯れ葦の囲む沼の水面にゆったりと泳ぐ姿が見られた。この地で、こうして現物を見ることは極めて稀だ。胸の鼓動が高まる。

しかし50mは離れているので、私の鈍い眼ではその表情まではとらえられない。あまり白くは見えない。やや汚れ色に見えるのは、幼鳥であろうか。とすると父母と長じた子、幼い子たちの家族かもしれない。野太い鳴き声が聞こえてきて、それはまるで犬のようだった。宮城県新潟県の映像はよく見るが、静岡まで南下してくる例は少ないのではないだろうか。この一組だけが、仲間と離れてこの地に来たのは、なぜだろう。

 

家内は既に2,3度見かけていて、「白鳥は7羽いるはずだが、今は6羽しか見えない。」と1羽を心配している。私は、対岸の葦辺に姿が見えなくなるまで30分ほど見ることができた。噂を知ってカメラを構えている人も来ていてちらほら姿が見られる。テレビが報道して観客が押し寄せる事態が心配であるが、今日までそうした事態にはなっていないのでありがたい。

 

白鳥を見ながら、私は谷川健一氏の「白鳥伝説」を思い出していた。

大和政権より前に日本の地に住んでいた人たち、縄文人蝦夷アイヌ人。こうした先住民族の意識が、以後の歴史時代に連なってきているはずだという仮定を立て、それを「縄文の意識の嵐」と名付け、その痕跡を追い求める壮大な知の冒険書であった。氏の文章は知的な事実を叙情豊かに説き、読者の心をつかんで離さない。

この中で東北地方の白鳥信仰に触れながら、バイカル湖のほとりに住むブリヤート族の説話を、孫引きだが次のように紹介している。 

日本の羽衣伝説と同じで、白鳥が羽衣を脱いで水浴しているとき、羽衣を奪われ人間の妻になる。けれど白鳥は自分の羽衣を在処を探し当て、それを着ると、天幕の煙出しから舞いあがった。末の娘が煤のついた手で母親をさし止めようとして、その足をつかんだために、白鳥の足は黒くなった。今日、白鳥の足が黒いのはそのためであるという。

ブリヤート人は白鳥を母とみなし、氏族の始祖が白鳥であると考えているのだという。白鳥の足をつかんでいる感覚が掌に伝わってくるようだ。 

谷川先生が逝ってもう7年が経つ。