2019-01-01から1年間の記事一覧

ミヤマヨメナの山道 (キク科)

緑陰に風あり白き花しずか 野菊は秋の花だと思っていたら、初夏に咲く種類もたった一つあるという。それがこの、ミヤマヨメナ(深山嫁菜)。 咲いていたのは、岩村城址である。 先日、日本三山城と称えられる「岩村城址」を訪ねた。城は700m余の山頂に築かれ…

日本三山城、岩村城址を訪ねて

夏草や一国一城山の中 (六段壁 この上が本丸になる) 合併で岐阜県恵那市になった旧岩村にある岩村城址に、友人と出かけた。日本三山城の一つだということで、期待も膨らむ。 ふもとの資料館に車を置いて、急な石畳の坂道を登ること約30分。息が切れ始めた…

タチアオイの風(アオイ科)

立ち葵人無きバスの反転所 タチアオイは静岡の市の花に指定されている。徳川の葵の紋と関係づけたのだろうか。 この時季、いかにも初夏にふさわしく大柄な姿をすっくとたちあげている。夏の花のように思えるが、盛夏になる前に花期は終わってしまう。 道路の…

白い花の咲くころ

白花のことさら白き薄暑かな 白花の「ヒメヒオウギ」(アヤメ科)。 ふつうは濃いピンクが多いのだが、私は白を増やそうとしている。 夏を迎えようとするこのころ、花は白いものが多くなってきた気がする。 黄色や紫の花のことを書こうと思っていたのだが、…

スイカズラを吸うと (スイカズラ科)

すいかずら夢より薄き甘さかな いま、堤防に川原にびっしりと咲いている。花は蝶の羽のように見える不思議な形をしている。 咲き始めは白い色だが徐々に黄色になっていくという。白黄色が混ざって咲いていて、中には少し薄紫っぽいものもあるので、遠目には3…

クレーの「母と子」に寄せて

今年も母の日がくる。 パウル・クレーの絵に谷川俊太郎氏が詩をよせた、「クレーの絵本」という画詩集をみた。 クレーの絵は全部で40点掲載されているが、その最後がこの「母と子」(1938年)。 まるで神話のように単純で不動で、そして愛と遊びがある。一…

湖西連峰を歩く

青嵐湖西連峰踏破せり (神石山:広い山頂で皆さんお昼を食べていた) 友人たちと飲むたびに何度となく「歩こうよ」と話があった湖西連峰を、S君O君と3人で歩いてきた。 湖西連峰とは、浜名湖の西方、静岡県と愛知県を分ける尾根で、標高は高いピークでも40…

平成の花鎮め

平成や今日を限りの花鎮め (災害の続いた平成時代) 平成最後の日は、菜種梅雨となった。 憲法にいう象徴とは一体何だろうか。 今上天皇は「鎮魂」にそれを見出されたのかもしれない、国民が苦しんだ場所を訪れては頭を垂れて祈られた。その真摯な姿は多く…

燃える大聖堂・・八木重吉の詩

愛の家 まことに 愛にあふれた家は のきばから 火をふいているようだ 詩稿「ひびいてゆこう」 八木重吉 (モネ ルーアン大聖堂) ノートルダム大聖堂が燃え落ちた。 燃え盛る大聖堂のニュース映像を見て、八木重吉の詩が真っ先に浮かんできた。 たった2行の…

きんぽうげ金ピカ

ペンキ屋の小僧ポタポタきんぽうげ 庭のキンポウゲは満開になり、陽射しを受けて、それこそ金ボタンのようにピカピカ光っている。金色の花を見ているだけで、暖かになる。 足下をカナヘビが日向ぼっこしながら歩きまわっている。 この花は、数年前三河の山の…

カタクリは食べ物だった?

堅香子や日射しは蕊まで届かざる カタクリのことを万葉集ではカタカゴと言ったらしい。響きもいいので私も「カタカゴ」をつかってみた。 島田市の旧金谷町富士見に、カタクリ約一万本の自生地、牧の原公園がある。ここは牧の原の広大な茶畑の東端に当たり、…

「令和」と大伴旅人

楽しめやあれこれいわず春の日を (「れいわ」を埋め込みました) 4月1日、国民が固唾をのんで見守る中、新元号「令和」が発表された。直感的には「令」が命令や使役のニュアンスを感じさせるが、異議を唱える意味もない。 有史来初めて中国の文献ではなく、…

エドヒガンの古木を見に行く

参道を喘ぐ二人や桜降る (富士山が雲で見えていない、このあと顔を出した。) 富士川沿いの小さな集落、今は合併して富士市に編入された北松野の妙松寺という古刹に、桜の古木をみにいった。 ちょうどタイミングが良くて、満開。風が吹くたびに花びらが宙に…

野火のなつかしさ

草焼いて里を離れぬ煙かな 写真は野火というには、余りにさみしいものだが、それでも畑に煙が立っているのが見えると、不思議な懐かしさを覚える。昔は枯草やごみがあれば、その場で燃やしたものだった。だから里のあちこちに煙が立っていて、それが棚引く風…

寒緋桜のじゅうたん

紅点(さ)して春は去にけり振り向かず 余りに鮮やかなので、踏み越えるのがもったいなかった。 これは寒緋桜。 近くの家に毎年早々と春の到来を告げてくれる。花は下向きに咲いて、ちょっとホタルブクロのように釣り鐘状になっている。散った花を見ると、花…

石の夢想―3 (小夜の中山夜泣石)

亀は鳴かず小夜の中山夜泣石 (峠にある久延寺の夜泣石) 亀は鳴かないのだが、不思議にも俳句の世界では鳴くようであり、春の季語となっている。 しかし、かつて東海道の難所、小夜の中山では夜になると、石が泣いたのだという。 身重の女が、このあたりで…

フラサバ草の庭(ゴマノハグサ科)

小さきものに春の光の来てとまる 庭に繁茂しているのが、フラサバ草。 オオイヌノフグリなどと同じで、ゴマノハグサ科。青い花はせいぜい5㎜。茎や葉には白い毛がびっしりあって、それが光を受けて美しい。 実はこの花がまだ珍しかった10年ほど前に、見つ…

私的な(俳句的)風景画論ー2 セザンヌのパレット

三月や十八色のいろ絵の具 ポール・セザンヌは毎日のようにセントビクトワール山を写生に出かけていたという話は誰も知るところだが、しかしじっと風景を見ていたのに、何故あのような写実とはいえない絵を描いたのだろう。 野には花が咲いてもいただろうに…

春兆す 3句

その人は峪の奥なり節分草 赤黒きものの芽ひとつ娑婆に出る 春は詐欺師春は人買い蕗の味噌

石の夢想ー2 (鈴石)

石は石草また萌えても石のまま 今回は「鈴石」。 実はこの石を、私は10年ほど前に本で知り探してみたが見つからないで諦めていた。ところが先日、たまたまあるサークルで知り合った人と話をしていたら、この石が話題に出てきた。早速場所を教えていただいて…

石に夢想するー1 (肥付石 こえつきいし)

大石に残る二月のあたたかさ (路傍の 肥付石 ) 私は静岡平野の北隅に住んでいるが、この辺りは昔からひどい湿地で米作にも適さない農村地帯だった。いま急速に都市の外縁になっているが、まだまだ散歩していると、集落の角々に庚申塚や馬頭観音みたいなも…

私的な(俳句的)風景画論ー1

立春やマチスの空に開く窓 (マチス 「開いた窓、コリウール」 1905年) 静岡に県立美術館ができたのは1986年、もう30年以上が経った。 館の基本的なテーマは「風景画」だった。当時山梨県立美術館がミレーの「晩鐘」で集客していたのに対し、漠然とした「風…

セツブンソウ 可憐な神々しさ

節分草を見入るイエスの誕生のごと 節分の、まさにその季を見計らうかのように、セツブンソウが顔を出した。この可憐さ、そしてあまりに正確な几帳面さ、甲斐甲斐しさに、命の神々しささえ感じてしまう。 大げさに言えば、キリスト降誕図を見るような気持ち…

蕪村最期に白梅さいて

寒梅やバカボンパパの鼻毛伸び 白梅や塗り残したる空の色 梅が咲き始めて、ほのかな香りが漂ってくる。 一月の冷気の中で、たまゆら陽射しがつよく射す折があるが、そんなときは梅の花が最も美しく見える。じっと見ていると白梅は、まばらな花の背後に透ける…

稀勢の里 引退

初場所や逸(はや)る若手のぶちかまし (ネットの報道写真を借用) 稀勢の里が引退した。 「相撲人生に一片の悔いもない」と語ったが、実のところはどうか。 私も肩を痛めて右腕の持ち上げる力が半分も入らない経験をしたが、おそらく彼はそんな状態で土俵…

初春の久能山東照宮と日本平へ

四百年千百五十九段に寒桜 親戚が来たので、国宝になった久能山東照宮と日本平を案内した。 東照宮は久能の浜側から詣でると、1159段の石段を登ることになる。1159を「いちいちごくろうさん」と言ったらしい。日本平のロープウェイからだとこれが100段で済む…

初空に鳩がとぶ

初空にピカソの鳩を放ちけり 三が日、晴天が続いた。 ハトが群れを成して青空を飛んでいる。二手に分かれたかと思うと、急旋回して一羽もぶつからずに見事に再度合流する。 ハトを見上げながらぼんやりピカソの絵などを思い起こしている。 そのうちにバタバ…

禅寺にも淑気

禅僧の青き頭の淑気かな 静岡の臨済寺は臨済宗の禅の修行寺である。 戦国時代に東海地方の雄であった今川義元の菩提寺でもあり、徳川家康(当時竹千代)が人質となり、この寺で幼少時を過ごしたことでもよく知られている。竹千代の小さい部屋も残されている…